2014年5月6日火曜日

春から初夏へ - 京都大原にて


http://stardustenglishwriting.blogspot.jp/2014/05/the-path-leading-to-sanzen-in.html

爽やかな風にふかれ三千院への呂川沿いの小路を歩いているとこの建物に出会いました。
去りゆく椿と光の中に輝く新鮮な紅葉の緑、窓ガラスに映り込んだ景色に魅了されました。

9 件のコメント:

  1. Magnificent garden, and you did such a good job with the photo. Love it! Thank you for sharing.

    Mersad
    Mersad Donko Photography

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  2. こんな静かなところでお茶を頂くのは、さぞかし心持ちがよいことでしょう。 この景色の中に溶け込んでしまいそうです。

    時折、いつどこでどういう風にも判らないように「ふっ」とこの世から消えることができたらなぁ、と想像することがあります。
    私が居た痕跡も私のついての記憶も全て「すっ」と無くなり、周りの人達は何事も無かった様に今までどおり淡々と暮らしていく・・・。
    ありえないですが、私にとってはあって欲しい最高の幸せです。

    この緑に包まれたガラス窓が、ドラエモンの「何処でもドア」のように感じられました。 

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    1. 私も別世界への扉のように感じました。咲き誇っていた椿が散り去り新緑のもみじが息吹き始めるように、そこでお茶を味わっている人々はその景色の一部であり、その人々がその場所からも地上からもやがていなくなっても、またこの建物が朽ち果てても、三千院への呂川沿いには同じような風景が続いて行ってほしいものです。

      人間一人いなくなるということは、その人の体だけでなく頭・心にあるものもともに消えていくわけですね。書かれておられることは逝く者にも見送る者にも楽なように思えますが、でも記憶は過去の幸せの最後の形だろうからその時はつらくとも失いたくはないなぁと思うのです。

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    2. 齢を重ねるにつれて、感じなかったことを感じ考えもしなかったことを考えるようになるものだなぁと、最近想うようになりました。それだけ様々な出来事や人との「出逢い」も同じく重ねてきたのだ・・・と、お恥ずかしながらようやく気付きました。
      一昔では想像もつかなかったこのような仮想空間での出会いもその一つです。僅かな滞在では垣間見ることの出来ない古都の奥深さを知ることが出来てとてもよい出逢いだったと感謝しています。
      ありがとうございました。

      お陰さまで私自身と家族は日々無事でございます。 ただ係累との関わりによって「時間」だけが不自由していますが、しかし、これもまた時間によって解消されるものだと冷静に受け留めております。 来し方を振り返れば、思うところなきにしもあらずですがやれるだけのことはやろうと・・・。

      ここは唯一、私だけの時間であり空間であります。 細々ながらも続けていきますので、おもいつかれることがありましたら、また立ち寄ってご覧下さい。

      諸事お大事になさってくださいませ。

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    3. Yoko様  謹んで、お悔やみ申し上げます。     安らかにお見送りができてなりよりでした。

      何気ない景色を撮る、ということの中にも日常とはすこし違った小さな発見があるかもしれません。 じっくり構えると別世界をのぞいているようにも感じます。
      また、同じ対象でも時間が過ぎていけば、別の表情になります。  時間の持つ絶対的な平等と変化と中立を思い知らされるようです。

      また、素敵な景色をお見せください。 

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  3. 美しいお庭です。透き通るような静寂の中、初夏の風が音もなく流れているようですね。

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  4. °✿彡º°。
    Imagem bela e poética!

    ¸.•°❤❤彡º°。
    FELIZ DIA DAS MÃES!!!
    .°º。✿
    Beijinhos carinhosos.
    ✿✿⊱.Brasil°º。✿° ·.

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  5. マジックのような佇まい。さまざまな緑でいやされます。しばらくこの景色の中に、じっと包まれてみたいです。day!
    Have a nice day!

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